-Solo Exhibition トークイベント:「ブエノス アイレス」2019年12月1日(日)16:00-18:00 Gallery PARC[グランマーブル ギャラリー・パルク]では、2019年11月22日(金)から12月8日(日)まで、大﨑のぶゆきによる個展 「ブエノス アイレス」を開催いたします。 2000年に京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(版画)を修了した大﨑のぶゆき(おおさき・のぶゆき/1975年・大阪生まれ)は、これまで国内外での多くの個展・グループ展などによる発表を続けています。近年では「キュレーターからのメッセージ2012 現代絵画のいま」(兵庫県立美術館、2012年)、「未見の星座-つながり/発見のプラクティス−」(東京都現代美術館、2015年)、「Noemi Weber/ Nobuyuki Osaki」(ルートヴィヒ・フォーラム・アーヘン、2017年)などのグループ展のほか、「マルチプル ライティング」(YUKA TSURUNO GALLERY、2018年)、「HAMBURG ON HAMBURG」(MIKIKO SATO GALLERY、2015年 / ハンブルグ)などの個展を開催。また、2009年に文化庁メディア芸術祭推薦作品、2013年にVOCA佳作賞、2017年には大阪市「咲やこの花賞」を受賞。2019年は愛知県美術館や佐倉市美術館でのグループ展などのほか、『六甲ミーツ・アート 芸術散歩』に参加(招聘)するなど、精力的な活動を続けています。 大﨑はこれまで、自身を取り巻く世界や認識への興味から「世界の不確かさ」について表現することを探求し、独自に素材や制作方法を開発しながら「イメージが消失する」現象やその過程から、現代社会を取り巻く不確かさの感覚を視覚化するような作品を発表してきました。近年はその不確かさや揺らぎを「未知なる可能性」として捉え・思考しており、作品には<過去/現在/未来>といった時間概念への注目を見て取ることができます。また震災を契機に、大﨑が拠点としている大阪や愛知での発生が予測されている南海トラフ地震について強く意識したことから、知人や周りの人々の「記憶や記録」に着目したシーリズ作品の展開にも取り組んでいます。 2019年の4月から約1ヶ月間、大﨑は日本の真反対に位置するブエノスアイレス(アルゼンチン)でのレジデンスに参加し、現地で生活する日系移民達の記憶や思い出についてリサーチを行ないました。かつて世界有数の先進国として、首都ブエノスアイレスが「南米のパリ」と呼ばれるほど栄えていたアルゼンチンは、しかし現在までに8回の債務不履行(デフォルト)に陥り、現在も危機的な経済状況にあります。また急激なインフレや上昇する犯罪発生率など、その国情には多くの問題を抱えているといえます。しかし、地理・情勢など、一見して現在の日本とは大きく異なるように思えるこのアルゼンチンでの滞在を通じて、大﨑は「アルゼンチンは日本の未来ではないか」ということを感じ、そこに興味を覚えたといいます。 本展は、「ある:ない」や「見える:見えない」といった正反対の視点を導入することで世界を捉えようとする大﨑が、「未来について」という興味を軸に、日本の真反対に位置するアルゼンチンでのレジデンスの中で得た「普通のこと」から「未来について」を思考するものです。それは「偶然と必然」、「ユニークピースとマルチプル」といった反対の構造を様々なピースで扱うことで、詩的かつ私的に紡がれるものとなります。しかし、鑑賞者においてこの作品は、それぞれの「過去/現在/未来」へと眼差しを向けるささやかな契機ともなるのではないでしょうか。 また、会期中には「大﨑とブエノスアイレス」というキーに偶然に関わることとなった秋庭史典(美学者/名古屋大学准教授)氏と川松康徳(アーティスト)氏を交えたトークイベントを行ないます。それぞれが訪れたブエノスアイレスの所感を通して、そこにどのような「過去/現在/未来」を見たのかを伺い知れるのではないでしょうか。 『「真反対の双子と、たまたまについて」 (展覧会のメモ、もしくはプロットとして)』 僕がなぜブエノスアイレスに行く事になったのか。 2019年4月半ばから約一ヶ月間、アルゼンチンのブエノスアイレスにアーティスト・イン・レジデンスで滞在してきた。日本から見て地球の真反対に位置するアルゼンチンは、僕の感覚においても真反対の国だ。到着した現地は秋。日差しは、日向と日陰の温度差が大きく、色がはっきりと見えるように強い。アルゼンチンは多民族国家で、アメリカ合衆国に次いで多くの移民を受け入れてきた国だ。ブエノスアイレスのヨーロッパのような街並みは、多くの移民団が目指した裕福な国であったという過去の繁栄の記憶を彷彿とさせる。『母をたずねて三千里』というアニメを知っている方も多いと思うが、このアニメはイタリアの少年が、出稼ぎに行ってしまった母をアルゼンチンへ探し訪ねる物語だ。しかし現在の経済は、これまでにデフォルトを8回も経験し、今日のアルゼンチンペソの急落は9回目のデフォルトを予感させる勢いである。デモやストライキも頻繁におこり、地下鉄や電車は日常的によく止まる。だが、彼らの日常はラテン気質もあって、いたって楽しそうだ。レジデンスのスタジオ近くの公園では、毎週末に大きなダンスパーティーが開かれて、多くの人々が夜遅くまで楽しんでいた。いろいろと日本では考えられない事態である。 僕は記憶や思い出について、ユニークピースでありマルチプルだと考えている。これらは個人にとって間違いなく唯一のものであるのだが、他者の記憶に触れることは、自分自身と繋がって転写していくようにも感じる。このなんともいえない時空を超えて繋がっていく感覚は、確かに存在している。日本とアルゼンチンという真反対の場所で取材した彼らの記憶や思い出。そして僕がこの滞在で感じた記憶や思い出。その出会いはたまたまであり必然である。時空は繋がっていくのだ。 そんなことをあれこれ考えながら帰国して直ぐ、秋庭さんにお会いする事になった。そこで「学会でブエノスアイレスに行く事になったのですが、どんな所ですか?」と尋ねられた。二度目のびっくりである。 大﨑のぶゆき <開催概要> トークイベント|「ブエノス アイレス」
「肉とワインが美味しいですよ。」今年の春から初夏にかけてブエノスアイレスでのアーティスト・イン・レジデンスを終えて帰国された大﨑さんのことばに背中を押されてわたしが同地を訪れたのは、9月上旬のことでした。わたしの滞在先は、中心街にある劇場を改築した書店として有名なAteneo Grand Sprendid近くのホテルで、2箇所ある学会の会場もそこから歩いて30分以内のところにありましたから、滞在したといっても、街中のほんの一角を5日間ほどグルグルしていたにすぎません。 「唯一無比な時間や記憶、過ぎていく時間の流れと記憶の在りかをモチーフに、私たちが生きる現在について考えています。」 たしかにブエノスアイレスという街は、中心街の美しい街並み・言葉・そして行き交う人の多くが白人であるように見えることも含め、あらゆるものがヨーロッパの記憶とともに生きている、そんなふうに見えます。 秋庭史典(美学者/名古屋大学准教授) |