"Portraits"Portraits(ブエノスアイレス | 日系移民のポートレイ/ Buenos Aires|Portraits of Japanese immigrants) 2019
installation
LCD screen, TV stand, video, audio of the interview, photograph
photo:Hyogo Mugyuda / Courtesy:Gallery PARC
地球の真反対に住む移民三世、四世の日系アルゼンチン人に「思い出について」のインタビュから制作した作品。日系人としての純化されたナショナリティを持つ彼らを見て、日本人として日本に住む僕自身は、様々なことを考えさせられた。日亜学院(アルゼンチンの日系人学校/ Instituto PrivadoArgentino-Japonés)の卒業アルバムを元に描いた肖像画がそれぞれのモニターに映し出され溶けて流れていく。彼らの日系人として、またアルゼンチン人としてのアイデンティティについて考える。双子の姉妹のインタビュー(スペイン語)の声がそれぞれのモニターからランダムに流れる。内容は、双子として生まれ、いつも行動を共にしていたが、学校に入学したことで初めて別々に生活することになった心境について語っている。生まれてからいつも一緒だった彼女たちは、それぞれのアイデンティティーを獲得し、「私たち」から「私」として生きることになる。▪️『日系移民の思い出と記憶を多層的に内包する作品群。はがみちこ評「大﨑のぶゆき:ブエノスアイレス」展』
https://bijutsutecho.com/magazine/review/21116
『「真反対の双子と、たまたまについて」 (展覧会のメモ、もしくはプロットとして)』
僕がなぜブエノスアイレスに行く事になったのか。
それは本当に「たまたま」だ。前年にブエノスアイレスにレジデンスで滞在していた友人のアーティストKくんと、帰国後に一緒にご飯を食べながら土産話を聞き、「いいなぁ、アルゼンチンに行きたいなぁ」と大いに盛り上がった。そして数ヶ月後、Kくんから「大﨑さん、ブエノスでのレジデンス決まりましたよ」と電話がかかってきたのだ。正直、びっくりである。その場のノリがほとんどで、何も考えていなかったのだが「オッケー、いつ?」と返事を返した。2019年4月半ばから約一ヶ月間、アルゼンチンのブエノスアイレスにアーティスト・イン・レジデンスで滞在してきた。日本から見て地球の真反対に位置するアルゼンチンは、僕の感覚においても真反対の国だ。到着した現地は秋。日差しは、日向と日陰の温度差が大きく、色がはっきりと見えるように強い。アルゼンチンは多民族国家で、アメリカ合衆国に次いで多くの移民を受け入れてきた国だ。ブエノスアイレスのヨーロッパのような街並みは、多くの移民団が目指した裕福な国であったという過去の繁栄の記憶を彷彿とさせる。『母をたずねて三千里』というアニメを知っている方も多いと思うが、このアニメはイタリアの少年が、出稼ぎに行ってしまった母をアルゼンチンへ探し訪ねる物語だ。しかし現在の経済は、これまでにデフォルトを8回も経験し、今日のアルゼンチンペソの急落は9回目のデフォルトを予感させる勢いである。デモやストライキも頻繁におこり、地下鉄や電車は日常的によく止まる。だが、彼らの日常はラテン気質もあって、いたって楽しそうだ。レジデンスのスタジオ近くの公園では、毎週末に大きなダンスパーティーが開かれて、多くの人々が夜遅くまで楽しんでいた。いろいろと日本では考えられない事態である。
今回の滞在では、日系移民の三世、四世の同世代や若い方々に、日常の記憶や思い出についてアルバム写真などを見せていただいたり、インタビューをしたりと見聞きしてきた。理由は「未来」について考えたかったからだ。来年の東京オリンピック以降への漠然とした不安感や、近年頻発する自然災害。自分の国に明るいイメージが思い浮かばない中で、たまたま決まった滞在で、たまたま出会う風景と、たまたまで出会った同世代や若い方々の思い出や生活について見聞きする。地球の反対で、そんな普通なことから未来について考えてみたかった。
移民の国で「移民」として世代を繋げる日系の方々は、自らのアイデンティーについて強く意識し、そこで生きている。幾人かの人々にインタビューをする中で、日系四世の「双子」に出会った。事前に双子と聞いていたが、彼女たちの性格や格好は真反対で、本当に双子なのか?という第一印象と、インタビューを通じて知った彼女たちの生い立ちから、僕は様々なことを考える。かつて経済学者のサイモン・クズネッツが『世界には4種類の国がある。先進国と途上国そして、日本とアルゼンチンだ』と語った国。途上国から先進国となった日本と、先進国から途上国となったアルゼンチン。そこでの滞在を通じて「アルゼンチンは日本の未来ではないか」ということを感じた。上手く言語化できないのだが今回のリサーチで彼らと話をしたことは、どこか未来に繋がる気がする。
僕は記憶や思い出について、ユニークピースでありマルチプルだと考えている。これらは個人にとって間違いなく唯一のものであるのだが、他者の記憶に触れることは、自分自身と繋がって転写していくようにも感じる。このなんともいえない時空を超えて繋がっていく感覚は、確かに存在している。日本とアルゼンチンという真反対の場所で取材した彼らの記憶や思い出。そして僕がこの滞在で感じた記憶や思い出。その出会いはたまたまであり必然である。時空は繋がっていくのだ。
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